データ漏洩対応における記録の法的要件と重要性:法務部が押さえるべき作成・保存のポイント
データ漏洩対応における記録の法的要件と重要性:法務部が押さえるべき作成・保存のポイント
データ漏洩インシデント発生時、企業は迅速かつ正確な対応を求められます。この複雑なプロセスにおいて、発生から終結に至るまでの全ての対応状況を正確に記録することは、法務部の視点から極めて重要です。単なる事後的な検証のためだけでなく、法規制上の義務履行、関係者への説明責任、そして将来的な法的紛争における証拠能力の確保という多岐にわたる目的があるからです。
本稿では、データ漏洩対応における記録の法的要件と重要性、法務部が主導または関与すべき記録の作成・保存に関するポイントを解説します。
記録の法的意義と法務部の役割
データ漏洩対応における記録は、単なるインシデントログではありません。それは、企業がインシデントに対して「適正に対応したこと」を示す重要な証拠となり得ます。法務部はこの記録プロセスにおいて、以下の点を主導またはサポートする役割を担います。
- 法規制上の義務履行の確認: 個人情報保護法第26条第2項に基づく記録作成義務など、法令で求められる記録が正確に行われているかを確認します。
- 説明責任の根拠: 監督当局、被害者、取引先、株主など、様々なステークホルダーに対する説明の根拠となります。
- 証拠能力の確保: 将来、損害賠償請求訴訟や行政処分に関する局面において、企業の対応の適切性を示すための重要な証拠となります。
- 再発防止策の立案: インシデントの原因究明と対応プロセスを詳細に記録することで、効果的な再発防止策の立案に不可欠な情報を提供します。
法規制上の記録義務と要求事項
日本の個人情報保護法においては、法第26条第2項及び同規則第7条に基づき、個人情報保護委員会への報告対象となる事態(要配慮個人情報の漏洩等、不正利用のおそれがある漏洩等、1,000人を超える漏洩等)が発生した場合、事業者は事態に関する記録を作成しなければならないと定められています。
具体的に記録すべき事項は、個人情報保護委員会規則第7条により、以下の通り定められています。
- 事態の概要
- 漏洩等した個人データに係る本人の数
- 漏洩等した個人データの項目
- 原因
- 二次被害の可能性及びその内容
- 本人への通知の内容及びその方法
- 個人情報保護委員会への報告の内容及びその方法
- その他参考となる事項
これらの法的要求事項を満たすことは最低限であり、企業の法的リスク管理の観点からは、これ以外の詳細な情報も記録しておくことが強く推奨されます。
GDPRなど、海外のデータ保護法においても、データ侵害発生時の記録作成義務が定められている場合があります。例えば、GDPR第33条第5項では、すべての個人データ侵害に関する記録を作成し、監督機関が検証できるよう利用可能にしておくことが義務付けられています。記録すべき事項としては、侵害の事実、影響、講じた是正措置などが挙げられています。グローバル展開している企業は、関係する各国の法規制の要求事項を網羅的に把握し、最も厳しい要件に合わせて記録方法を標準化することが望ましいでしょう。
記録すべき内容の具体例
法規制上の最低限の記録事項に加え、企業の防御と説明責任のために法務部として記録を推奨する内容は以下の通りです。
- インシデントの認知日時と経路: いつ、誰が、どのようにしてインシデントを認知したかの詳細。
- 初動対応: 誰が、どのような緊急措置(システム停止、ネットワーク遮断、関係者への連絡など)を講じたか。指揮系統は誰が担ったか。
- 原因調査のプロセスと結果: 調査チームの編成、実施した調査内容(フォレンジック調査を含む)、特定された原因、その根拠。
- 影響範囲の特定: 漏洩・滅失・毀損したデータの内容、対象者の範囲(人数、属性)、影響を受けたシステムの範囲。
- 社内各部署との連携状況: IT部門、広報部、CS部門、経営層など、どの部署と、いつ、どのような情報伝達・連携を行ったか。会議の議事録、決定事項。
- 外部専門家との連携状況: 法務顧問弁護士、フォレンジック調査会社、PR会社など、いつ、どのような目的で協力を仰ぎ、どのような情報交換を行ったか。特に弁護士とのコミュニケーションについては、弁護士秘匿特権の適用可能性を考慮し、その範囲を明確に記録することが重要です。
- 関係機関への報告・通知: 個人情報保護委員会、所管省庁、警察、業界団体など、いつ、誰が、どのような内容で報告・通知を行ったか。法的根拠。
- 本人(被害者)への通知: 通知の方法(書面、メール、Webサイト公表など)、通知のタイミング、通知文面の法的妥当性、問い合わせ対応状況。
- 再発防止策: 特定された原因に対する具体的な対策、実施計画、担当者、スケジュール。
- 対応に関する意思決定: 重要な意思決定(外部公表の要否、補償の判断など)が、いつ、誰によって、どのような理由で行われたかの記録。
- 発生した損害: 直接的損害(復旧費用、調査費用など)、間接的損害(営業停止による逸失利益、信用の失墜など)。将来的な賠償額算定の基礎となり得る情報。
これらの記録は、時系列に沿って網羅的かつ正確に行われることが重要です。
記録の作成方法と留意点
記録は、後から容易に参照・検証できる形式で作成する必要があります。
- 即時性: インシデント発生直後から、対応と並行して可能な限り迅速に記録を開始することが望ましいです。時間が経過すると詳細を正確に思い出せなくなる可能性があります。
- 正確性: 事実に基づき、客観的に記載します。憶測や感情的な記述は避けるべきです。
- 網羅性: 前述の「記録すべき内容」の項目を漏れなく記録します。
- 様式: 記録の様式は自由ですが、時系列で整理され、誰が見ても理解できるよう統一されていることが望ましいです。事前にインシデント対応計画(IRP)の中で記録様式や記録体制を定めておくことが有効です。
- 責任者: 誰がどの部分の記録を担当するか、明確な責任者を定めます。法務部は全体の記録体制の整備や、法規制に関わる項目の記録内容のレビューを担当することが考えられます。
- 改ざん防止: 記録内容が不当に変更されないよう、アクセス制限やバージョン管理などの措置を講じます。
記録の保存
作成された記録は、適切な期間、安全に保存する必要があります。
- 保存期間: 法規制上の義務がある場合はその期間(個人情報保護法に基づく記録は、作成から3年間保存することが望ましいとされています)、訴訟リスクなどを考慮した期間(例えば、最後の対応が完了してから時効期間や除斥期間を考慮した期間)を定めます。企業の規則や業界ガイドラインも考慮します。
- 保存場所と方法: 物理的な書類、電子ファイルなど、形態は様々ですが、紛失や改ざん、不正アクセスから保護される方法で保存します。アクセス権限は厳密に管理します。
- 検索性: 後から特定の情報を迅速に参照できるよう、整理された方法で保存します。
記録の活用
作成・保存された記録は、様々な場面で活用されます。
- 監督当局への報告: 個人情報保護委員会などへの正式報告の際に、記録された事実に基づき正確な情報を提供します。
- 本人への説明: 被害者からの問い合わせや権利行使(開示請求など)に対して、記録に基づき誠実に説明を行います。
- 事後検証と監査: インシデント対応プロセス全体を検証し、問題点や改善点を特定するための重要な基礎資料となります。監査の際にも提出を求められる可能性があります。
- 訴訟対応: 損害賠償請求訴訟などが発生した場合、企業の対応の適切性や損害との因果関係などを主張するための最も重要な証拠となります。特に、企業が取るべき注意義務を尽くしたことを示すためには、適切な初動対応、原因究明、被害拡大防止措置、通知・報告などを迅速かつ正確に行った記録が不可欠です。
まとめ
データ漏洩対応における記録は、単なる形式的な作業ではなく、企業の法的義務の履行、説明責任の遂行、そして潜在的な法的リスクからの防御のために不可欠なプロセスです。法務部は、法規制上の要求事項を踏まえ、網羅的かつ正確な記録が時系列に沿って作成・保存されるよう、社内体制の構築や記録内容のレビューを主導する必要があります。事前のインシデント対応計画(IRP)策定段階から、記録体制と様式を具体的に検討しておくことが、有事の際に混乱なく、法的要件を満たす記録を作成するための鍵となります。