企業の生成AI利用におけるデータ漏洩リスクと法的義務:法務部によるガイドライン策定実践ガイド
はじめに:生成AIの普及と新たなデータ漏洩リスク
近年、生成AI(Generative AI)のビジネス活用が急速に進んでいます。様々な業務効率化や創造性の向上に寄与する一方で、生成AIの利用は新たなデータ漏洩リスクをもたらしています。特に、機密情報や個人情報を含むデータをプロンプトとして入力した場合、意図しない形でその情報がモデルの学習データに取り込まれたり、他のユーザーへの出力に含まれたりするリスクが指摘されています。また、不適切な利用やセキュリティ対策の不備もデータ漏洩の起点となり得ます。
法務部門の皆様におかれましては、このような新たな技術動向に伴う法的リスクを正確に把握し、企業全体のデータセキュリティ体制の一部として、生成AIの適切な利用に向けた統制を確立することが重要な責務となっています。本記事では、生成AI利用に伴うデータ漏洩リスクの種類と関連法規制上の義務、そして法務部が主導すべき利用ガイドライン策定の実践的なポイントについて解説いたします。
生成AI利用に伴う主なデータ漏洩リスク
生成AIの利用は、以下のような複数の経路でデータ漏洩のリスクを発生させます。
- プロンプトへの機密情報・個人情報の入力:
- 従業員が業務遂行のために、顧客情報、営業秘密、未公開の技術情報などをプロンプトとしてAIに入力してしまうケースが考えられます。利用するAIサービスが外部サービスである場合、入力された情報はサービス提供者のサーバーに送信され、その後の処理やモデル学習に利用される可能性があります。これにより、機密情報が社外に漏洩するリスクが生じます。
- 出力情報からの機密情報・個人情報の漏洩:
- AIの出力結果に、過去の他のユーザーの入力に関連する情報や、モデルが学習したデータに含まれる機密情報・個人情報が偶然含まれてしまう可能性がゼロではありません。特に、ファインチューニングされたモデルや、特定のデータセットで学習されたモデルを利用する場合に注意が必要です。
- 生成AIサービス自体の脆弱性やインシデント:
- 利用している生成AIサービス提供者のシステムにセキュリティ上の脆弱性があったり、サービス提供者側でデータ漏洩インシデントが発生したりするリスクも考慮する必要があります。自社が提供者に委託している形で機密情報や個人情報を扱わせている場合(例:特定のデータでチューニングを依頼している場合など)、これは委託先の監督義務の問題にも発展します。
- 不適切な利用による派生リスク:
- 生成AIを用いて作成したコンテンツに社外秘の情報が含まれていたことに気づかず公開したり、AIの回答を鵜呑みにして誤った情報を伝達したりすることで、結果的にデータ漏洩やそれに類する損害が発生するリスクも存在します。
関連法規制上の義務と法務部の責任
生成AI利用によるデータ漏洩は、既存の様々な法規制に抵触する可能性があります。法務部門はこれらのリスクを理解し、適切な対応を講じる必要があります。
- 個人情報保護法:
- 個人情報を含むデータを生成AIに入力し、それが外部に漏洩した場合、個人情報保護法上の安全管理措置義務違反が問われる可能性があります(法第20条)。また、個人情報保護委員会への報告義務(法第26条)および本人への通知義務(同条)が発生します。
- 特に、機微情報(要配慮個人情報)や不正利用のおそれのある情報(アカウント情報など)が漏洩した場合、そのリスクはより重大となります。
- 生成AIサービス提供者へのデータ処理委託にあたっては、委託先の適切な監督義務(法第25条)を果たす必要があります。
- 不正競争防止法:
- 生成AIのプロンプトとして営業秘密を入力し、それが外部に漏洩した場合、営業秘密の侵害(不正取得、使用、開示)に該当する可能性があり、不正競争防止法に基づく差止請求や損害賠償請求の対象となり得ます。
- 著作権法:
- 入力データまたは出力データに著作権侵害が含まれるリスク(例:著作権で保護されたテキストを無断で入力データとして使用する、AIの出力結果が既存著作物と酷似しているなど)も存在しますが、これはデータ漏洩とは性質が異なります。しかし、著作権侵害を隠蔽するために記録を削除するなどの行為が、データ漏洩インシデント発生時の証拠保全を妨げる可能性は考慮すべきです。
- その他の関連法規・ガイドライン:
- GDPR(一般データ保護規則)やCCPA/CPRA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)など、域外適用される各国の個人情報保護法規におけるデータ漏洩時の報告・通知義務も確認が必要です。
- 各省庁から発行されているAI関連のガイドライン(例:「AIと著作権に関する考え方」、「AI戦略」関連文書、個人情報保護委員会が今後策定しうるガイドライン等)の最新動向を注視し、安全管理措置等に反映させる必要があります。
- 業種別のガイドライン(例:金融分野、医療分野など)が存在する場合、それらに定められたデータ取扱いのルールも遵守する必要があります。
法務部門は、これらの法的義務を理解した上で、生成AIの利用に関する社内ルールの策定を主導し、潜在的な法的リスクを最小限に抑える責任を負います。
法務部が主導すべき生成AI利用ガイドライン策定の実践ポイント
生成AI利用に伴うデータ漏洩リスクや法的義務を踏まえ、法務部門が中心となり、以下の要素を含む利用ガイドラインを策定することが推奨されます。これはデータ漏洩防止のための安全管理措置の一環となります。
1. ガイドライン策定の目的と対象範囲の明確化
- なぜガイドラインが必要なのか(リスク低減、コンプライアンス遵守、利用促進と抑制のバランスなど)を明確にします。
- ガイドラインの対象となる従業員(正社員、契約社員、派遣社員など)や利用ツール(会社が契約したツール、個人で利用しているツールなど)の範囲を定めます。
2. 利用の許可・不許可に関するルールの設定
- 会社として利用を許可する生成AIサービスを特定し、それ以外の利用を原則禁止または制限することを検討します。許可するサービスの選定においては、サービス提供者のセキュリティ対策、利用規約、プライバシーポリシー、データの取り扱い方針(入力データが学習に利用されるか否かなど)を法務部門が中心となって技術部門と連携し、十分に評価することが不可欠です。
- 特定の業務(例:顧客対応、研究開発など)での利用を制限することも検討します。
3. 入力データに関する具体的な制限
- 機密情報・個人情報の入力の禁止: 最も重要なルールの1つです。具体的な情報区分(顧客情報、従業員情報、未公開の事業計画、技術情報、契約内容など)を例示し、これらの情報をプロンプトとして入力することを明確に禁止します。
- 匿名化・仮名化されたデータの扱い: 匿名加工情報や仮名加工情報であれば利用を許容するかどうか、許容する場合の条件(利用目的の制限、外部への提供禁止など)を定めます。ただし、再識別リスクがないか慎重な判断が必要です。
- 著作権侵害のおそれのあるコンテンツの入力制限: 著作権で保護されているコンテンツ(記事の全文、書籍の一部など)を許諾なく入力データとして利用しないよう注意喚起を行います。
4. 出力データの取り扱いと検証
- 出力内容の検証義務: 生成AIの出力は不正確な情報や偏見を含む可能性があります。出力された情報を鵜呑みにせず、必ず事実確認や内容の検証を行う義務を利用者に課します。
- 出力データの機密性: 出力された情報が機密情報や個人情報を含んでいないか確認し、含まれている場合は取り扱いに注意が必要であることを定めます。
- 著作権侵害のリスク: AIの出力が既存著作物と類似する可能性に言及し、必要に応じてオリジナリティの確認や、出力結果をそのまま商用利用する場合の法的リスクについて注意喚起を行います。
5. セキュリティ対策と利用環境
- 会社が提供するセキュアなネットワーク環境やデバイス以外での利用制限を検討します。
- 利用ログの取得や監視に関する方針を定めます(プライバシーへの配慮が必要です)。
6. 違反時の対応
- ガイドライン違反が確認された場合の報告義務、懲戒処分の可能性について明記します。これにより、ルールの実効性を高めます。
7. 従業員への周知・教育
- 策定したガイドラインは、全従業員に対して研修等を通じて徹底的に周知する必要があります。単に文書を配布するだけでなく、生成AI利用に伴う具体的なリスクや、なぜそのルールが必要なのかを理解させることが重要です。特に、機密情報・個人情報の入力禁止については、事例を交えながら具体的に説明します。
8. 定期的な見直しとアップデート
- 生成AI技術は急速に進化しており、新たなリスクや利用方法が登場しています。また、関連法規制やガイドラインも更新される可能性があります。そのため、ガイドラインは一度策定したら終わりではなく、定期的に(例:半年に一度、または大きな技術・法改正があった際など)見直し、必要に応じて改訂を行う体制を構築します。
他部署との連携
ガイドライン策定にあたっては、法務部単独ではなく、以下の部署との密接な連携が不可欠です。
- IT部門/情報システム部門: 利用許可ツールの技術的評価、セキュリティ対策の検討、利用環境の構築、利用ログの管理など。
- 事業部門/開発部門: 実際の業務での生成AI利用実態やニーズの把握、実務に即したルールの検討。
- 広報部門: 生成AI利用に関する対外的な情報発信方針の共有。
- 人事部門: 従業員への周知・教育方法、違反時の対応に関する連携。
結論:継続的なリスク管理体制の構築に向けて
生成AIはビジネスの可能性を広げる一方で、適切な管理なく利用されるとデータ漏洩という重大なインシデントを引き起こすリスクを孕んでいます。法務部門は、この新たなリスクに対して受動的になるのではなく、能動的に関与し、リスクを正確に評価した上で、実効性のある利用ガイドラインを策定・運用していくことが求められます。
これは単なるルール作りに留まらず、従業員教育を通じて組織全体のセキュリティ意識を高め、変化し続ける技術と法規制の動向を継続的にフォローアップする体制を構築する取り組みです。生成AIの安全な利用を推進することは、企業の競争力維持のみならず、ステークホルダーからの信頼確保にも繋がります。法務部門が主導し、関係各部署と連携しながら、堅牢なデータ漏洩リスク管理体制を構築していくことが、今まさに重要となっています。
データ漏洩は、発生してからの対応も重要ですが、未然に防ぐための対策こそが、企業にとって最もリスクとコストを低減する道である点を改めて強調いたします。生成AI利用ガイドラインの策定は、そのための有効な手段の一つであり、法務部門が果たすべき役割は極めて大きいと言えるでしょう。