個人情報保護法が定めるデータ漏洩時の報告・通知義務:法務部が押さえるべきポイント
はじめに:データ漏洩発生と法務部が果たすべき役割
企業におけるデータ漏洩は、単なる技術的なセキュリティ事故ではなく、甚大な法的・社会的リスクを伴う事態です。特に、顧客や従業員等の個人情報が漏洩した場合、企業には個人情報保護法をはじめとする関連法規に基づく厳格な対応が求められます。大手製造業の法務部部長として、コンプライアンス体制構築と有事対応の最前線に立つ皆様にとって、データ漏洩発生時に法的に求められる義務を正確に理解し、迅速かつ適切に対応することは不可欠な責務です。
本稿では、個人情報保護法(以下、「法」といいます)が定めるデータ漏洩等の場合の報告義務および通知義務に焦点を当て、その法的根拠、要件、具体的な対応方法について、法務部が押さえるべきポイントを解説いたします。
個人情報保護法における報告・通知義務の法的根拠
2020年改正個人情報保護法により、個人の権利利益を保護するため、個人データの漏洩、滅失又は毀損(以下、「漏洩等」といいます)が発生し、個人の権利利益を害するおそれが大きい場合に、個人情報取扱事業者には個人情報保護委員会への報告義務および本人への通知義務が義務化されました(法第26条)。これは、それまで努力義務であった対応を強化し、企業により厳格な情報管理と透明性の高い事故対応を求めるものです。
この義務の背景には、デジタル化の進展に伴うデータ侵害リスクの増大と、国際的なデータ保護規制(GDPRなど)におけるデータ侵害通知の義務化といった潮流があります。企業は、国内外の規制動向を踏まえ、自社のデータ管理体制およびインシデント対応計画を見直す必要があります。
報告・通知義務の対象となる「漏洩等」の定義
報告・通知義務の対象となる「漏洩等」とは、個人情報保護法第2条第6項に定義される「個人情報データベース等」を構成する個人データの漏洩、滅失又は毀損を指します。
- 漏洩: 個人データが外部に流出すること。意図的なサイバー攻撃によるものだけでなく、誤送信や紛失なども含まれます。
- 滅失: 個人データが消滅すること。バックアップデータの破損等により復旧できなくなった場合などが該当します。
- 毀損: 個人データの価値が損なわれること。データの改ざんや暗号化(復元不能な場合)などが含まれます。
これらの事態が発生した場合でも、直ちに全てのケースで報告・通知義務が生じるわけではありません。義務が発生するのは、「個人の権利利益を害するおそれが大きいものとして個人情報保護委員会規則で定めるもの」に該当する場合です(法第26条第1項)。
報告義務:個人情報保護委員会への対応
報告が必要なケース
個人情報保護委員会規則第7条において、「個人の権利利益を害するおそれが大きいもの」として、報告義務の対象となる事態が具体的に定められています。代表的な類型は以下の通りです。
- 要配慮個人情報が含まれる個人データの漏洩等が発生し、又は発生したおそれがある事態
- 不正に利用されることにより財産的被害が生じるおそれがある個人データの漏洩等が発生し、又は発生したおそれがある事態
- 不正の目的をもって行われたおそれがある個人データの漏洩等が発生し、又は発生したおそれがある事態
- 個人データに係る電磁的記録の暗号化が解除された状態で行われた漏洩等が発生し、又は発生したおそれがある事態(いわゆるランサムウェア攻撃による暗号化も含むが、復元可能なバックアップがあり身代金を支払わずに復旧できた場合などは除く可能性がある)
これらの類型に該当するか否かは、漏洩等の内容、影響範囲、個人データの性質などを総合的に考慮して判断する必要があります。判断に迷う場合は、個人情報保護委員会や専門家への相談が推奨されます。
報告のタイミングと内容
報告義務は、以下の2段階で行う必要があります(個人情報保護委員会規則第7条第2項)。
- 速報: 事態を知った後、速やかに(おおむね3〜5日以内を目安)。
- 事態の概要
- 判明している情報(発生日、影響範囲、原因、含まれる個人データの種類など)
- その他、委員会が必要と認める事項
- 確報: 事態を知った後、事態発生日および詳細について判明した次第、二次被害の防止等のための措置を講じた後、当該措置及びその他の事態に関する情報を整理した上で、速やかに(おおむね30日以内を目安)。ただし、不正の目的をもって行われたおそれがある事態の場合は、60日以内となります。
- 事態の概要
- 発生原因
- 二次被害の防止等に向けた対応の状況
- 本人への通知の実施状況
- その他、事態への対応状況
報告は、個人情報保護委員会のウェブサイトを通じて行うオンライン報告システムが推奨されています。
通知義務:本人への対応
通知が必要なケース
本人への通知義務は、原則として個人情報保護委員会への報告義務が生じるケースと同様に、「個人の権利利益を害するおそれが大きい」事態に該当する場合に発生します(法第26条第2項)。
通知の例外
ただし、以下のいずれかに該当する場合は、本人への通知は不要とされています。
- 本人の権利利益を保護するため必要な代替措置が講じられている場合。例えば、漏洩した個人データが再利用できないように措置が取られている場合などです。
- 当該事態が生じた個人データの中に、本人の氏名、連絡先その他の情報が含まれていないため、本人を特定することが著しく困難である場合。
通知すべき内容と方法
本人への通知は、事態の状況に応じて速やかに行う必要があります。通知すべき内容は、個人情報保護委員会規則第8条に定められており、以下の事項を含めることが求められます。
- 事態の概要
- 漏洩等した個人データの項目
- 原因
- 二次被害の防止等のための措置
- その他、事態に関する情報
通知の方法については、個別の状況に応じて、電子メール、書面での郵送、自社ウェブサイトへの掲載など、最も迅速かつ適切に本人に伝達できる方法を選択する必要があります。二次被害防止の観点から、注意喚起を含めた具体的な情報提供が重要です。
報告・通知義務違反のリスク
報告・通知義務を怠った場合、個人情報保護法に基づく罰則が適用される可能性があります(法第178条第1号等)。また、罰則以上に重大なリスクとして、企業への信頼失墜、顧客離れ、損害賠償請求、レピュテーション低下といった事態を招く可能性があります。迅速かつ誠実な対応は、法的リスクの軽減だけでなく、失われた信頼の一部を回復するためにも不可欠です。
実務上の対応ポイント:法務部の役割
データ漏洩発生時、法務部が中心となって対応を進めるための実務上のポイントを以下に示します。
- 初動における法的要件の判断:
- 事態発生の報告を受けたら、まず個人情報保護法上の「漏洩等」に該当するか、さらに「個人の権利利益を害するおそれが大きい」事態に該当するかを迅速に判断します。
- IT部門と連携し、漏洩等の事実、影響範囲、漏洩した可能性のある個人データの種類や量を特定します。
- 経営層への速やかな報告と、対応方針の決定をサポートします。
- 個人情報保護委員会への報告準備と実施:
- 速報・確報で求められる事項を整理し、必要な情報を収集します。
- 報告内容に虚偽や不備がないよう、関係部署と連携して確認します。
- 委員会の指示や照会に迅速に対応する体制を構築します。
- 本人への通知準備と実施:
- 通知対象となる本人を特定します(特定が困難な場合は例外規定の適用を検討)。
- 通知内容(事態の概要、漏洩データ、原因、防止策、問合せ先など)を検討し、分かりやすく正確な文案を作成します。
- 通知方法(メール、郵送、ウェブサイト等)を選択し、実行計画を立てます。
- コールセンター等、顧客対応部署と連携し、問い合わせ対応体制を構築します。
- 社内連携と指揮:
- IT部門(原因究明、技術的対応)、広報部門(外部コミュニケーション)、顧客対応部門(本人対応)、事業部門(影響範囲特定)など、関係各部署との連携体制を構築し、指揮を執ります。
- 対応状況を記録し、証拠を保全します。
- 外部専門家との連携:
- 必要に応じて、個人情報保護委員会、警察、弁護士、情報セキュリティ専門家など、外部の専門家や関係機関と連携し、助言や協力を得ます。
- 再発防止策の検討と法的措置:
- 原因究明に基づき、再発防止策を検討・実施します。
- 不正アクセス等が原因の場合は、警察への被害届提出や、加害者に対する法的措置を検討します。
まとめ:報告・通知義務遵守に向けた平時からの備え
個人情報保護法に基づく報告・通知義務は、データ漏洩発生時に企業に課される重要な法的責任です。この義務を正確に理解し、迅速かつ適切に対応できるかどうかが、事態の収束、法的リスクの最小化、そして企業信頼の維持に直結します。
法務部としては、平時よりデータ漏洩発生時の対応計画(インシデントレスポンスプラン)を策定し、報告・通知義務に関する判断基準、社内連携体制、連絡先リスト、通知文面のテンプレートなどを準備しておくことが極めて重要です。また、個人情報保護委員会や関連省庁が発行するガイドライン、Q&Aなどの最新情報を常に確認し、法改正に適切に対応できる体制を維持してください。
データ漏洩はいつ発生するか予測できません。しかし、その際に法が求める義務を迅速かつ的確に果たすための準備は可能です。本稿が、皆様のデータ漏洩対応計画策定の一助となれば幸いです。